日本のシャンソン界の先駆者として知られ、「ブルースの女王」との愛称で呼ばれる淡谷のり子さん。
1999年、老衰で92歳でお亡くなりになりましたが、85歳で新曲を発表するなど、晩年まで歌手として精力的に活動を続けられてきました。ステージ衣装が一着のみではあるのですが、群馬県渋川市の日本シャンソン館に展示されているそうです。
また歌手としてだけでなく90年代に「ものまね王座決定戦」の審査員として出演されていて辛口コメントで人気でした。
そんな淡谷のり子さんの娘やその父親についてはさまざまな憶測が飛び交っているようです。
そこでこの記事では淡谷のり子の娘やその父親について調査してみました。
fa-lightbulb-o記事の内容
・淡谷のり子の娘は誰?
・淡谷のり子の娘の画像!若い頃に似てる?
・秋元順子は淡谷のり子の子供?
・淡谷のり子の娘の父親は誰?
・淡谷のり子の旦那との結婚生活
・淡谷のり子の娘についてまとめ
淡谷のり子の娘は誰?
淡谷のり子の娘は誰なのか?若い頃に似ているのか調べてみました。
淡谷のり子の娘は誰?
淡谷のり子には1938年(昭和13年)生まれの一人娘がいることがわかっています。
ですが誰であるかは公にされていないようです。
淡谷のり子は1907年8月12日生まれなので、31歳の時に生まれた娘ですね。
もし娘さんがご存命であれば85歳(2023年現在)となります。
色々と調べてみたところ淡谷のり子の娘の下の名前は「奈々子」とわかりました。
妹のとし子さんと、1人娘の奈々子さんご夫妻と同居されていたが、いつでもにこやかで穏やか、あったかいご家族だったのは忘れられない。
そしてこんなエピソードも見つけました。
近所の子供は私の化粧した顔を見て、みんな怖いって泣き出すのよ。」
私は思わず笑ってしまった。
つけまつ毛、アイシャドウ、さまざまな化粧品で濃化粧した淡谷さんの顔は、近くで見ると、子供を泣かせる迫力がある。
「ところが、あたしの娘はね、あたしがゴッテリ化粧した顔をじっと見て、おかあちゃま、きれい!といってくれるのよ。あなた、子供は産んでおくべきですよ」
淡谷のり子の言葉にかっこいいなと思いました。
淡谷のり子の出身は青森ですが、そこにも情報を見つけました。
◆青森市所蔵作品展 寄贈記念 淡谷のり子展 ~唄ありて喜びあり~◆
日本音楽史上に確固たる地位を築き、国内外を通じて広く活躍され、郷土青森の人々に感動・勇気・希望を与えた淡谷のり子さん。
本展覧会では、本人が書き込んで使用した「別れのブルース」の楽譜など、一人娘である重村奈々子様から寄贈いただいた180点を超える、大変貴重なゆかりの品を展示します。開催初日にはオープニングセレモニーも開催。詳しくはこちらをご覧ください。
というわけで、淡谷のり子の娘は1人で重村奈々子ということがわかりました。
淡谷のり子の娘の画像!若い頃に似てる?
淡谷のり子の娘が重村奈々子さんとわかりましたが、画像はないようです。
一般の方でしょうからなかなか画像は出てきませんでした。
おそらく淡谷のり子に似ているのではないでしょうか。
そこで若い頃の淡谷のり子を探してみました。
紫髪からの淡谷のり子先生
若い頃がめっちゃ昭和スタァやし生い立ちもすげえ尊✨️
あーーー鈴木清順の夢二観たくなってきたなぁァァァァ~~
なーーんで近所のTSUTAYA潰れたかなぁああァァ~~??? pic.twitter.com/7ShCnn3cFo— カルトベビー東京hughouse→1月〜愛と狂気のマーケット (@cultbaby_tokyo) August 17, 2022
下の段中央の女性が淡谷のり子です。
青森県総観入荷致しました♪
戦前の青森県関連の
著名人・名士・建物等が
多数掲載されてます。
淡谷のり子さんの若い頃の
写真も載ってます♪ pic.twitter.com/ULZ1icj89a— 古書 思い出の歴史(青森県古書籍商組合員) (@Omoidenorekishi) May 4, 2017
ステージ用の衣装を着てメイクをしているとなかなかわかりませんが、現在の年齢から考えると淡谷のり子の90年代の印象のような感じなのでしょうか。
勝手ながら紫のヘアスタイルを想像してしまいました。
秋元順子は淡谷のり子の子供?
秋元順子が淡谷のり子の子どもではないか?という記事を見かけますが、これは違うということがわかりました。
淡谷のり子の子供は娘ひとりとのことですし、秋元順子とは誕生日も違います。
秋元順子の誕生日は1947年6月21日です。しかも秋元順子の母親は民謡が好きとのこと。
ではなぜ淡谷のり子の娘ではないか?との噂があったのかというと、単純に似ているからのようですね。
淡谷のり子の娘の父親は誰?
それでは淡谷のり子の娘の父親は誰なのかを深掘りしていきましょう。
淡谷のり子の娘の父親は誰?
淡谷のり子はピアニストの和田肇と結婚するが、和田肇は父親ではないとのこと。
それでは父親は誰なのか?
あたしも娘が一人あるのよ。その子の父親だけは、本気で好きになったけれど、中国で死んでしまった。娘が出来たことも知らずにね。
対談でこのように話されてます。
人生で唯一本気で愛した人の子どもを孕ったんですね。ドラマのような話ですね。
当時は戦争もあって亡くなってしまったのかもしれません。それにしても孕ったことも知らず亡くなってしまったとは悲しいですね。
淡谷のり子の旦那との結婚生活
ピアニストの和田肇との結婚は離婚に終わっていますが、結婚を決める際は「恋人と歌の先生の二つを手に入れたい」という打算的なところがあったそうです。
すべては歌のための結婚だったとも語っています。
そんな打算的に結婚したのであれば、なかなかうまくも行かなかったのかもしれません。
結婚生活がどれくらい続いたのかはわかりませんが、離婚に終わっています。
淡谷のり子の娘についてのまとめ
淡谷のり子の娘について調査した記事のポイントをまとめます
・淡谷のり子の娘は重村奈々子
・淡谷のり子の娘の画像はみつかりませんでした
・淡谷のり子の娘はおそらく淡谷のり子の若い頃に似てると思われます
・秋元順子は淡谷のり子の子供ではありません
・淡谷のり子の娘の父親は淡谷のり子が本気で好きになった男性。残念ながら中国で亡くなっている。
・淡谷のり子の旦那との和田肇との結婚生活は打算的に始め、結果離婚している
淡谷のり子の娘について調べたことでわかったことです。
ちょっと怖そうな印象があった方ですが、自分に正直に生きてきたとても素敵な女性だったのだなと感じました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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