辻野隆三さんをご存知ですか?ダンシングヒーロでおなじみの荻野目洋子さんの旦那さんです。
荻野目洋子さんとは、堀越高校時代の同級生なんだそうです。
辻野隆三さんは堀越高校時代、高校総体で堀越高校テニス部を初優勝に導いています。
テニスの世界では凄い人で有名な方なんです。
そこで、この記事では辻野隆三さんの経歴とテニススクールについて調査してみました。
辻野隆三の経歴がすごい!
辻野隆三さんの経歴を調べました。
その前に、軽くプロフィールをご紹介します。
生年月日 1969年2月24日
出身地 東京都小平市
出身校 堀越高校
PLAY-STYLE フォア・バックともに右利き片手打ち サーブアンドボレースタイル
プロ転向 1988年7月
小学3年生まで・・・野球少年。
1977年9歳・・・ テレビでウィンブルドン選手権をたまたま見る。これだ!とテニスを始める。
9歳の辻野少年が見ていたのはおそらくこのビョン・ボルグVSジミー・コナーズ戦。なにか感じるものがあったんですね!
1985年から3年連続優勝! 3年連続で全日本ジュニアを統制したのは、だれも成し遂げたことはありませんでした。
ちなみに、1年目の優勝を成し遂げた際の決勝戦の相手はなんと松岡修造さん!
高校3年の ときには、高校総体で堀越高校初優勝に導き、自らも個人優勝を果たします。
高校卒業後はアメリカへ渡り、
・ビタス・ゲルライテ ィス(ATP世界ランキング4位)
・ロバート・ランスドープ(ピート・サンプラス、リンツィー・ダベンポートのコ ーチ)
から教えを受け2年半の修行を積み帰国します。
1990年5月、ロイヤルSCオ ープンでベスト4、続く群馬オープン、八ヶ岳オープンで優勝します。
1990年10月、セイコースーパーテニスに大会推薦を手に入れ出場。
一回戦、ジョイ・ リーベ選手(当時ATP世界ランキング98位)にフルセットで勝利。
二回戦、第二シードのボリス・ベッカー選手(当時ATP世界ランキング2位)に敗れたものの、数々のサービス エースを奪います。
1990年12月・・・試合中に転倒し右肩を脱臼。
1991年6月・・・ケガから復帰。
1991年12月・・・クリスマス・オープンでシングルス・ダブルスで準優勝!ケガから完全に復帰を果たします!
1年ですごいですね!
1992年・・・全日本室内テニス選手権、ダブルス優勝。ジャパンサーキット・マスターズ大会で優勝。クリスマス・オープンではシングルス・ダブルスを制覇。
1993年・・・セイコースーパーテニスで日本人で初めて予選突破。本戦ではパトリック・クーネン選手を破り二回戦に進出。
1994年・・・オーストラリアオープン。本戦出場(松岡修造以来)
1997年・・・北日本物産の実業団チームの選手兼監督として入団
1998年・・・全日本選手権、ダブルスで優勝
2003年・・・現役引退。MIRAI TENNIS ACADEMYを設立
ざっと振り返りましたが、凄い経歴です。松岡修造さんをも下している、アグレッシブなプレーは海外でも評価が高いそうですよ。とっても優しそうな感じですけどね。
ちなみに、荻野目洋子さんとは2001年に結婚しています。そして3人の娘さんのパパです。娘さんたちもお父さんである辻野隆三さんの影響で、テニスをしていたみたいですね。
辻野隆三さんテニススクールはどこ?
辻野隆三さんプロデュースのテニススクールは「MIRAI TENNIS ACADEMY」です。
住所はこちら。〒241-0821 神奈川県横浜市旭区二俣川2-52-1 西友二俣川店屋上
受付時間9:00~19:00 TEL:045-369-7785
荻野目洋子さんもホームページに登場されていました。こちら>>>
レッスンのあとは1階のスーパーでお買い物できますよ。
お近くの方はいかがでしょうか?
まとめ
荻野目洋子さんの旦那様でもある、辻野隆三さんの経歴やテニススクールについて調べてみました。いかがだったでしょうか。
テニスプレイヤーとして大活躍された辻野隆三さん。若い世代の育成のためにもテニススクールを経営されていました。
それにしても9歳でこれだ!と思ったテニスで、様々な記録を塗り替えていくなんて凄いですよね。子供の直感を大切にしたいなと思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました!